今日でカタビーチを去った。
また来年!
バタバタとあいさつもそこそこに去ったので、最後にもう1回会いたかった人はたくさん。
でも半年後だよ?
また会える可能性が高いんだよ!
もう一生会わないわけじゃないから。。。
また会う前提だから。
完全にさよならじゃないから。。
とはいえ、彼らが故郷に帰っちゃったりしたらもう一生会えないわけで。
本当のことをいったら、すべては一期一会。
同じコンディションで同じ人に会うことはもうない。
とても不思議。
地球上のこの一点で会って、時間を共有したことは、喜ばしい奇跡なんだなと改めて思う。
そう思える私はみんなのことがけっこう好きになってしまったようだ。
去年のへっぽこサーファーが、わりかし一人前になって今年新たにカムバック!!
というのを来年やりたいなぁ。
そんなに甘くないのかなあ。
私にとってはやっぱりサーフィンができてこそのカタビーチだから、波がなくなる季節に向けてカタを去るのはやっぱり妥当。
それに完全なさよならじゃない。
だから、すごく悲しくはないけど、甘酸っぱいようなせつないような気持ちはある。
でもカタビーチやカタノイビーチの皆さんは、私がへっぽこにサーフィンを始めたところをみんな知ってるわけで、わたしのバージンは永遠にここにあるとでもいうか。
初恋の人は永遠に忘れないというか。
私がここを去ったとしても、カタは私のなかの特別な場所として生き続けることは間違いない。
なにせ私は、波もサーフィンもサーファーも、カタビーチとカタノイビーチのものしか知らないのだから。
次にどこへ行ったとしても、つねにここで見たもの、体験したものが比較基準になっていくわけだから。
そう思うとちょっとさみしくない。
しかしスポーツを介してあう人々っていいね。
特にサーフィンみたいな、個人競技かつ、勝敗を競うだけではないスポーツ。
特に外国人との交流はしやすいと思った。
教えてあげるとか教えてもらうとかだけでもなく、文化の交流とかだけでもなく、自然に一緒に遊べるし、経済力の違いがあんまり響かないから、国籍が関係なくなる。
西洋人もタイ人も日本人も区別なく対等な意識で付き合える。
先日、タイ人サーファーが、わたしの話はスイス人サーファーからよく聞いているといって、
外交的なお調子者タイプのスイス人サーファーと、その友達のシニカルなオーストラリア人サーファーの口調をモノマネしていた。
それがすごく特徴をとらえていて笑ってしまった。
観光客とサービステイカーという関係でもなく、ローカルとビジターという感じでもなく。
そういうプーケットの雰囲気が、私は好きだなあ。
きっと来年も来よう。
とはいえ、実はまだ去った実感はあまりない。
次の生活が始まってないからだ。
次が始まって初めて、終わったことを悟るのだと思う。
そして改めて、プーケットを思うんだろうな。